個人ブログ
③「アヤワスカ」セレモニー
澤田 明子 掲載内容は執筆者個人の見解であり、ありのまーま株式会社の公式見解ではありません。
アヤワスカとは何か


今回の3回の時間帯
1回目は、到着当日の22時頃から翌朝4時頃まで。
2回目は、休息後の13時30分頃から。
3回目は、その翌日の13時30分頃からでした。
3回のうち2回が日中でした。
空、木、太陽の光、風、乾いた草、植物、動物の音などが常に周囲にあり、私にとって自然環境そのものが体験にかなり影響していました。

1回目のセレモニー
大きな内面的変化は起こらなかった
最初のセレモニーでは、二杯目まで飲んでも、後のセレモニーで経験するような強烈な身体感覚や内面的な変化はほとんどありませんでした。
以前の私なら、
「効かなかった」
と思っていたかもしれません。
でも今回は、事前面談でシャーマンから言われた、
「急いで先へ進もうとしなくていい」
「すべてはプロセスです」
「どこかへ行こうとしなくていい。そこにいるだけでいい」
という言葉がありました。
そのため、大きな体験が起きなくても、それほど失望はありませんでした。
「今日は準備なんだ。」
と、比較的落ち着いて受け止めていました。
吐いたあと、外で見た月と星
ただ、一つ、とても強く記憶に残っている瞬間があります。
二杯目を飲んだあと、私は吐きました。
その後、外へ出て夜空を見上げました。
そこにあったのは、白く輝く月と星でした。
月も星も驚くほど明るく、まぶしいほど白く輝いていました。
星は今にも空から落ちてきそうなくらい強く瞬いていて、私はそれまで、あれほど明るく見える月や星を見たことがありませんでした。
アヤワスカによる視覚の変化もあったのだと思います。
周囲の光や色が普段より鮮明になり、目に入るものが強く輝いて見えていました。
その作用と、カタルーニャの夜空そのものの美しさが重なったのでしょう。
私がそのとき思い浮かべたのは、京都アニメーションの作品に描かれる星空でした。
現実の風景なのに、アニメーションの中の夜空を見ているような感じ。
月の白さも、星の瞬きも、少し現実離れしているほど鮮明でした。
後のセレモニーのように、自分の過去や恐怖と向き合うような体験ではありません。
何か特別なメッセージを感じたわけでもありません。
ただ、
「こんなに星と月はきれいだったのか」
と、目の前の景色そのものに感動していました。

「何も起こらなかった」も一つの体験だった
それでも、セレモニー全体としては穏やかなものでした。
明け方4時頃に終わったときも、
「何も得られなかった」というより、
「これは一つ目の段階なのだろう」という感覚でした。
後から振り返ると、この1回目が穏やかだったからこそ、私は次のセレモニーへ焦らず進むことができたのだと思います。
強烈なビジョンや心理的な体験だけがアヤワスカの体験ではありません。
普段なら見過ごしてしまう月や星を、ただ圧倒的に美しいと感じる。
それもまた、今回のリトリートで経験したことの一つでした。
2回目のセレモニー
日中の自然の中で
数時間休んだあと、フルーツだけの食事をとり、
午後1時半頃から2回目が始まりました。
一杯目を飲んでも、大きな変化はありません。
日中、屋外でのセレモニー。
木陰の下で揺れる木々や風を感じながら穏やかな時が流れます。
私はいつの間にか深く眠っていました。
その後、二杯目を飲み、ファシリテーターから少し歩いてみるよう勧められました。
身体はかなり重かったのですが、歩き出しました。
青い空。焼けつくような太陽。
完全に乾いた草。
歩くたびにサクサクという音。
緑の植物もあれば、種を落とす直前まで乾いた植物もあります。
しばらくすると体力が限界になり、木陰にあったクッションへ座り込みました。
ここから、体験が大きく変わりました。

「マザー・アヤワスカ」の存在
お腹のあたりに、女性的な存在を感じました。
姿も顔もありません。
声も聞こえません。
それでも、そのときの私は、それを「マザー・アヤワスカ」として感じました。
私は、
「どうすればいいんだろう」
「何をすればいいんだろう」
と考えていました。
でも、答えはありません。ただその存在が私の中でどんどん大きく、覆いつくしてきます。
私は身体の感覚に合わせて呼吸を続けました。
強い死の恐怖
その後、身体感覚が急激に強くなりました。
頭の中に鳥肌が立つような感覚。
心臓から棘が生え、臓器が敏感になっているような感覚。
指先まで一気に血が流れ込む感覚。
頭のてっぺんまで走る強烈なゾクゾク。
そして、息苦しさ。
「本当に死ぬ」と体が反応しました。
しかも、それは一度ではありませんでした。
ひとつの強烈な感覚が押し寄せ、死の恐怖を感じる。しばらくすると収まり、少し安心する。
すると今度は、まったく違う身体感覚が始まり、
「これはさっきとは違う。今度こそ危ない」
と感じる。
それが3度、4度と繰り返されました。
不思議だったのは、これほど死を身近に感じているのに、同時に身体には、オーガズムに達する直前にも似た強烈な高揚感があったことです。
死ぬという恐怖と、生きている身体の強烈な感覚が、同時に押し寄せてくる。
後から振り返ると、私にとってそれは、
「生命が限界まで開いているような感覚」
でした。
恐怖の波が過ぎたあと
人や自然への愛情
何度か繰り返された死の恐怖がようやく弱まると、それまでとはまったく違う感覚が出てきました。
強い親しみと愛情です。
サポーターのスルが様子を見に来ました。
誰かの笑顔を見るだけで愛おしい。
遠くから一緒にセレモニーを受けていたヘンリーが駆け寄ってきてくれます。
手を握ってもらうと、「私は大丈夫だよ、あなたも笑って」と伝えたくなる。
お互いにハグをしました。
それは恋愛的な愛ではありませんでした。
そして、その感覚は人だけに向いていたわけでもありません。
風、太陽、空、植物、この土地。
自分を取り囲んでいるもの全体へ、愛情が広がっていくような感覚でした。
そして、その愛情を感じ、涙があふれ、その涙にもまた愛情を感じました。
1回目は、世界の美しさを強烈に感じた。
2回目は、生きていることそのものを強烈に感じた。
そして、そのどちらからも自然に生まれてきたのが、愛と感謝でした。
アヤワスカから「世界を愛しなさい」「生きることに感謝しなさい」と教えられたわけではありません。
ただ、普段なら通り過ぎてしまう感覚を、無視できないほど強烈な形で体験した。
怖い。美しい。生きている。愛おしい。
まずこのような感覚があり、その意味を考えたのは、その後の私でした。

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